映画館という場所

2024年3月17日(日)

春がきて、ことしもまた一年分、数字をならべる。おお、これは。わたし、このままで大丈夫かな。いや、大丈夫じゃない。なにか考えなあかんなあ。そう言うと、旦那さん。また、そんなことを言って。お菓子がおいしくなった、とか、タグが少し素敵になった、とか、そうゆうことを考えている方がいいと思うで。それもそう、とうなずく。次の日、つづいて花屋の一年分の数字をならべ終えると、旦那さんが言った。僕このままじゃあかんわあ。

映画を観にいくことが増えた。一年ほど前から。自転車をこいで。散歩がてら歩いて。暮らす街に、いい映画館があることは、とてもありがたい。あってほしい場所がちゃんと、ずっとあるようにと、足をはこぶ。

やわらかな椅子にふかく腰をかける。こころをしんと静かにする。大きな音で聴く音楽は、からだのすみずみまで響く。スクリーンに映るだれかの表情を見つめ、人というのはきれいと思う。

映画は、大人になったじぶんにとっての、学校のような場所。ドキュメンタリーでも、つくり話でも、映画のなか、だれかの生き方に、この世界がどんなところか。人間とは。人生とは。そんなことを教わる。

たとえば、平日の夜。仕事がおわったあと、急いで映画館に向かう。座席に座ると、隣にも前にもほかの客の姿が見える。すると、無性にうれしくなる。同じように、その映画を通して、なにかを感じたい、考えたい、知りたいと、思っているひとがこんなにも、いるのか。

なぜ戦争は終わらないのか。その答えをじぶんのなかに持ちたくて、昨年観た「ぼくたちの哲学教室」。上映がおわり、場内が明るくなって、世代もばらばらの一人ひとりが、散っていくのが見えた。ひとつの教室のなか、一緒になにかを考えた気持ちがした。

あるとき、店に初めてやってきたお客さんが、旦那さんの木工の小さな台を、すごくかわいいですね、とほめてくれた。あれを手に取って見てくれた人は、初めてやった。そのとき、僕はひとりじゃないんやなあ。不思議とそう思ってんな、と旦那さんが言った。映画を観るときの気持ちは、それにも少し似ているだろうか。海の向こう、知らないだれかと、同じほうを向く。希望はこっちと。