2022年の春

2022年3月30日(水)

新しい年が始まったころ、店に来てくれた人が言った。「不穏な時代になりましたね」これ以上ない、ふさわしい言葉だと思った。少しずつ季節が移ろって、その言葉が前にも増して、ぴたりと当てはまるようになった。毎朝、新聞の文字を追いかける。二年前の春のように、言葉を探している。何となく胸がそわそわとして、ふと気づくと、なにか心細い。

3月になって、近くのホテルが倒産するという知らせがきた。何年ものあいだ、たくさん仕事をさせてもらったホテルだった。この二年、なんども休業と営業再開をくり返していた。気取ったところのない街のホテルで、夜、団体客を乗せたバスが到着すると、従業員も社長さんもみんなで「いらっしゃいませ」と出迎えていた。緊急事態宣言が出ると、ホテルの前で、お弁当を売っていることもあった。それでも続いていたものだから、大丈夫なのだと勝手に思っていた。

毎年クリスマスには大きなクリスマスツリーを、お正月には門松やもち花を飾らせてもらった。そんな仕事は、このちいさな花屋にとっては初めてのことで、あれこれ思い巡らせ、期待に添うだろうかと、よろこんでもらえるだろうかと、ひとつひとつ、つくった。店からホテルまでは歩いてほんの5分。できあがったツリーや門松を運んでいると、近所の人たちが、すごいなあ、立派やなあと声をかけてくれた。わたしたちはいつでもとても誇らしかった。そんな仕事がなくなった。ちいさな誇りは、ふだん気にとめていなくても、日々を支えてくれていたのだと思う。いま、なにか、無性に心細い。

遠い国の争いと、クッキーを焼いているわたし。なにひとつ接点などないように思っていても、材料を買うたびに、一瞬思考が止まる。この先、小麦の値段はどれくらい上がってゆくのだろうか。これからも安心してクッキーは焼けるのだろうか。自分にしても、結局先はどうなるのかわからない。そんな、どこに行けばいのかわからないような気持ちを話していると、旦那さんがあっさりと言った。「そのときはお菓子やめたらいいねん」それもそうか、と思う。そのときはそうしよう。軽やかに。

37歳。宮沢賢治が亡くなった年になった。まだできていないことばかりだけれど、前よりもずっと視界がいい。夢中でおやつ便のおやつをつくっていた日、隣で旦那さん、話の途中でふいに、長い白髪もありますよ、と言う。え、とその一本をつまんで、まじまじと見た。真っ白く光る線。それで、つまんだ白髪を、束ねているほうにまた戻した。いつかあの人が言っていた。「ゆりさん、生きているってうれしいね」歳を重ねられることの、なんてしあわせなことか。