書いてよし

6月19日(土)

少し前、ある展示会の寄稿文をお願いしてもらった。5名の方の絵や布の作品を見て、感想を書く。大学を出てから広告のコピーライターという仕事をしていた。今も時々、取材をして、文章をまとめる。お話を聞いた人やお店、ものの、よいところ、感動したところを、読む人にできるだけわかりやすく伝える。そこには、自分の考えや思いというものは、ない。寄稿文は、それとは違い感想なので、わたしの気持ち、感じ方も入る。書いてみると、難しく、同じだけ楽しかった。いいなと思った作品も、言葉にしてみることではじめて、それを好きな理由が分かった。書くことは、大事だなと、改めて思った。それで、昔、まだ学生だった頃、なりたかった職業が作詞家と映画批評家だったことを思い出した。雑誌をめくり映画のコラムを読みながら、映画を観て感想を書くのが仕事だなんて、よい職業だなあと憧れた。到底なれる気はしなかったけれど。

誰に届くかは分からなくても、作品をつくったひとと、お願いしてくれた人がよろこんでくれたらいいなと思って書いた。できた文章をメールで届けると、お願いしてくれた人から返事が返ってきた。「私、西村さんの文章が好きです」。

何度も繰り返し観ているドラマの中で、好きなやり取りがある。「こんな女も居ていいんでしょうか」とたずねる主人公に、ずっと年上の女性がきっぱりと言う。「居てよし!」

こんな私も文章を書いていいんだろうか。「書いてよし!」そう言われたような気分だった。

夏のはじまり、友人のくれたメール、元気に過ごしているかな、の答えに少し考えてから、わたしは今はわりといい感じかな、とメールを書いた。そう言える自分が少しうれしかった。冬の終わりから春のあいだは、何度も浮いたり沈んだりを繰り返した。しょっしゅう、ごはんつくりたくない病も出た。また昼か、また夜か、と台所に立つたび、うんざりとして気分が暗くなった。めったと母に相談事もメールもしないのに、メールを打った。お母さん、ごはんつくりたくないときは、どうしたらいいんやろう? 

これは冬の日で、マーケットの最中、女の子が遊具から落ちたか、ころんだか、したときのこと。周囲の大人たちがみんな、大丈夫? と心配そうにたずねる中、黙ったままの女の子に友人が言った。「痛かったら痛いって言わなあかんよー」。駆け寄るでもなく遠くから。自分の仕事を続けながら、心配し過ぎるふうでもなく、無関心なふうでもなく、ちょうどよい声のトーンで。友人は長く保育士をしている。この言葉を聞いて、ああ、とてもよい先生なんだろうなと思った。

ある冬の夜、お菓子の材料が足りず、真っ暗の中、遠くのお店まで自転車で走らなくてはならなかった。閉店までもう少し。ちょっと急いで行ってきます、と言うと、旦那さんが言う。車で乗せていってあげるで、と。まだまだ仕事は終わらない様子なので、申し訳なくて、大丈夫、大丈夫と答えたらこう言われた。「助けてほしいときは、助けて、って言ってくださいよ」って。結局、車を出してくれた。

「ゆりちゃんに助けてほしいなと思って来たの」立春のころ、遠くの町でカフェを営む知り合いの方がたずねてくれた。首がヘルニアになり、痛くて、店で出すお菓子が今はつくれないらしい。お菓子をお願いできたらと思ってね、そう話してくれた。話を聞きながら、誰かに「助けて」と言われることは、なんてうれしいことだろう、そうしみじみ思った。わたしにできることは何でもしたくなった。素直に、助けて、と言えることは、なんてよいことだろう。誰もきっと迷惑になんてならなくて、誰かの役に立てることは、ただ喜びでしかないのだろう。誰かの役に立てる、その喜びのために、人生も社会も回ってゆくのかもしれない。

昔、母に怒られたことがある。転職と展示、ふたつの大きなできごとが重なって、とても忙しかったとき。なんでもっとお母さんを頼らへんの、寂しいやんって、大声で泣きながら言われた。びっくりして、答えに困った。何て返事をしたのだろう。何も言えなかったような気もする。

人に頼るとか、相談するとか、そういうことが苦手だった。そもそも、そういう自分にすら気づいていなかったのかもしれない。痛かったら痛いって言わないといけない。助けてほしいときは、助けて、って言わないといけない。そんなことを、36歳になって、学んでいる。