
2025年10月16日(木)16:20 エアコンを消してとびらを開けて営業する日も増えた。お店に街の風が流れこむ。まあ、そのうち、なんとかなるでしょう。なじんでいくというか、と旦那さん。
ピアノの練習曲は葬送行進曲。かれこれ半年近く弾いている。教室へ行く日だけ、あわててピアノの前に座る数カ月だった。教室に通って6年ほど経つ。練習していく日、練習しないまま行く日どちらもあって、どちらの時も黙って弾き始める。今週はまったく練習できていません。ことわりを入れなくても、先生が聴けば一目瞭然すぐにおわかりのことだろう。言い訳するのも格好わるいなあと、言い訳はやめにした。重たい棺を抱えてゆっくりと歩いていくようなイメージで、弱く、弾いてください。先生が言った。デーンデーンデーンデーン。左手で低音を弾きながら、いつかやってくる死を思う。じぶんの。周りの人の。何カ月も弾いているけれど、飽きずに弾いている。そのようなことを思いながら弾く曲は初めてだった。
つい先日の新聞に「個を越え延伸する生命」という内容の記事があった。生命を外在化させることが大切という。せまい自我にとじこもるのでなく。今朝、疎水沿いの道を自転車で走りながら、あの木々の葉のうえに、水の流れの音のなかにも、じぶんがいることを思った。じぶんが、すべてのなかにある。それなら、なあんだ、どうにかうまくやろうなんて思わなくてもいいのだと安心した。