魂はどこへ

2020年6月10日(水) 雨がふって、やんで、またふって、涼しい風が部屋に流れこむ。梅雨入り。

一昨日、夜ごはんをつくっているとき、旦那さんが言った。ゆりちゃんは死んだあとについて、どう思われます? 魂はどうなると考えていますか、魂は何になると思いますか、なんて。それで、ちゃんと考えたことはなかったけれど、話しながら、考えてみた。死んだあと、のことを。

思い浮かんだのは、春に見た、土の上にのった、散った花びらのこと。土に受け止められている気がした。どうぞ、ゆっくり休んでくださいね、って。空へは飛んでいかず、地面に落ちる、横たわるのは、重力があるから。地球に、支えられている。そんなふうに、人もやっぱり、土に還るのだろうか、心もからだも。亡くなったら、天にめされる、とか、空へいく、とかよく言うけど、ゆりちゃんは、土やと思うんですね、と旦那さん。それで、魂は? と聞かれて、からだがなくなったら、魂もなくなる気がするなと話しながら、あぁ、と気づいた。魂は、宿っているのかもしれない。物に宿るものなのかもしれない。それで、人もそうだけれど、花瓶にも、コップにも、絵にも、どんな物にも魂は宿っているのだ、と思った。

隣の電器屋のお母さんは、一人暮らし。もう70代だけれど、日曜日以外は、毎日お店を開けている。うちと同じで、朝の9時から。近所の人とのおしゃべりがしょっちゅう聴こえてくる。すこし前、台所にこもっていて、あまり外に出ていなかった。ほんの3、4日ぶりに会うと、お母さんは、西村さん、元気? しばらく見いひんと、さびしいわぁ、と声をかけてくれた。わたしには、毎日、家の中にいても、お母さんの声がしっかりと聴こえていた。とてもよく通る、明るくて気持ちのいい声だから。

今年も梅の実を砂糖でつけた。はじめて、梅酒もつくった。まだ硬くて青い梅。

今日はたくさん絵を描いた。ベロニカ、ベルテッセン、サンダーソニア。

読みたい本が机の上に何冊も寝そべっている。久しぶりに行った図書館。ずらり並んだ棚の中の長田弘さんを、そのまま借りてきてしまった。親しい友人にでも会ったように、うれしくなって、思わず、全部手にとってしまったんだ。