忘れていた歌を思い出した

2020年6月6日(土) -久しぶりの日記。わたしの場合、日記じゃなく、週間記ともいえず、月間記になってしまった、なんて話していたら、それでもいいやん、と旦那さんが言った。とりとめもなく、春から初夏のことを。

朝、仕出し屋のおばちゃん、人参のスープと、豆腐の煮物をくれる。夕方、豆ごはんをくれる。花屋でおばちゃんが腰かけて、話しているのを、近所のおじちゃんが通って「いつまでも油売ってたらあかんやないか」と笑う。すぐさま、おばちゃん、油売ってまーす、ガソリンスタンド魚安です、って言い返す。それから、しんどいし立ってられへんから、スタンドちゃうわ、ガソリン座って売ってまーす、なんて、付け足した。なんて頭の回転が速いのだろう、こんなにも面白いことが口からどんどんこぼれるなんて。大笑いしながら、思わず、感動してしまう。

5月は何度か、ライラックの切り枝が入ってきた。淡い紫色。旬も一瞬だし、めったに仕入れないのに、どうしてこんなに親しみを感じるのだろう、なんて考えたら、そうか、水彩絵の具の「ライラック」は、いつでもパレットの上にのせるお気に入りの色だった。

5月のはじまり、友人が電話をくれた。特に何も用はなかったけれど、かけてみたよって。久しぶりの長電話。読んでいる本のこと、買い物は週に何回とか、新しく学校に行きはじめたこと。なんでもない話をできるのがうれしかった。

少し前のこと、仕出し屋のおばちゃん、たくさん稼いでも何も残らへん、最後は何が残るか。まごころだけが残るんやで、と話していた。旦那さんが話している途中、あ、でも二メートル離れな、と言って、二メートル離れてもまごころは届くんですか? とたずねると、おばちゃん、はっきりきっぱり「二メートル離れてもまごころはとどーく!」と言っていた。それがおかしくて、お腹を抱えて笑った。

仕出し屋のおばちゃん、ある朝、お赤飯をおすそ分けしてくれたことがあった。今日はおじいさん(父)のお誕生日やからこれから(施設へ)持って行ってくるわ、って。朝の9時過ぎ、ほかほかのお赤飯。早起きしたんですか? ってたずねたら、今朝は4時起きでつくったんやで、って。

4月は父の誕生日で、それを思い出しながら、早朝、ケーキを焼いた。生クリームとくだものをはさんで、いちばん上にはいちごで75を描いた。店の開店前に、高槻まで車を飛ばした。ほんの5分ほどだったけれど、家の前、マスクをつけながら、父と母とおしゃべりした。顔を見て、おめでとう、を言うことができた。父の75歳の誕生日は一回きりでその日しかないものな。

この春も、いつも通りにお店を開けていたけれど、どうすべきなんだろう、自分たちの安全はちゃんと守れるのかな、とよく話していた。あるとき、旦那さんが言った。せめて、ここ(花屋)のあり方とか、自分の生き方くらいは、自分で決めたらいいってことなんやろうなって。

お客さんから荷物が届く。安全を守るためのもの、お米やおかき、そしてお便りと、谷川さんの詩。迷いの中です、って。この荷物を送ることも、迷いました、って。行間や余白を眺めながら、言葉になったもの、その向こうにある、言葉にならなかったもののことを考えた。数行に、見え隠れする、日々の心の波。

春に来てくれたお客さん、実は悩んでいることがあって、と相談してくれた。そのときは、思うままに、自分なりの考えを話したけれど、ほんとうに、そう答えてよかったのか、いまでもずっと気になっている。

5月末で、お隣の本屋さんが閉店した。最後の日、あいさつに来てくださった。入ってくるなり、もう、ここには思い出がいっぱいです、って言う。わぁわぁ、ちょっと興奮気味にいつもの調子でひとしきり大声で話してから、しまった! すいません、僕マスクしてなかった、なんて言うので、えぇっ! と驚いて、大笑い。それで、あわてて、マスクを手渡した。

本屋さんは、花屋でひらいた音楽会にも毎回参加してくれた。わたしがあっちで、こっちで、展示をする、朗読会をする、というときにも、わざわざ時間をつくって足を運んでくれた。やさしい人だった。話しながら、たらたらと涙は出てくるけれど、ちっとも悲しくなかった。さびしくもなかった。しあわせな気持ちで満たされていた。ずっと昔、花屋での音楽会。わたしが友人と歌った「インドのうた」の音源が僕の宝物です、なんて言ってくれるので、また泣けた。胸がいっぱい。夜、台所に立ちながら、久しぶりに口ずさんでみたけれど、続きの言葉を思い出すのに、いつまでも時間がかかった。それは、もう、とっくに忘れていた、大切な歌だった。

感染症が流行してから、毎夜、ニュースを見るようになった。どうなっていくのだろう、と。テレビのない家なのでインターネット。これまでは、新聞しかニュースは見なかったけれど。インターネットのニュースを繰り返し見ているなかで、ある朝、開いた、新聞の記事で、思考がぱっと、切り替わるような気持ちがした。藤原辰史さんという人文学を研究する方の記事だった。「一つの国が文明国家であるかどうか。-基準はただ一つしかない、それは弱者に対する態度である」なんとなく、インターネットのニュースを眺める視点が変わった。

ひらいた新聞に、本の中に、映画のセリフに、言葉を探している。これまでよりも、注意深く。だれが決めるでも考えるでもない、自分なりの指針というものを持たなくては、と。

新聞に、京都の街の映画館を守るため、Tシャツをつくって、資金を集めたという記事がのっていた。やり方を変えたり、知恵を出したり、みんなすごいな、と話すと、旦那さん、ぼくらもつくろうか、と言う。えっ、にちTシャツ? 売るの? て聞くと、売らへん、配るねん、お世話になった人に、って。変わっているなぁ、旦那さんは。

隣の家から、女の子の声が聴こえてくる。お姉ちゃんが妹の名前を何度も呼んでいる。好きで、好きで、仕方ないのだろうな。そういう声に、日々とてもほっとしている。台所に立ちながら、きゃあきゃあ、遊んでいる声が聴こえてくると、こどもは天才だな、と思う。暗いニュースや閉塞感なんて、なんのその、だ。それから、思う。なにか、役に立とう、社会のためになることをしようとか、しなくたって、まっすぐ生きていれば、ちゃんと、だれかの役に立っているのかもしれない。明るく笑っていれば、それで。

聞きなれない言葉がどんどん飛び交う。次々に、出てくる。なんじゃ、そりゃ、と思う。敵。打ち勝つ。負けない。そういう言葉も、どうにも苦手だ。違和感を、胸のすみで、守っている。ささいな違和感に気づくこと。簡単に通り過ぎたり、考えなしに受け入れたりしないことが今、とても大切な気がする。

ふと、思う。感染症は、自分が感染していない、自分の暮らす町では感染している人がいない、自分の暮らす国では感染している人がいない、だけでは、終わらない。地球の裏側にある、遠い国であっても感染している人がいれば、また広がってしまう。神さまが与えた、このできごとは、自分だけがよければいい、という考え方ではすまない。世界中、みんなで助け合ってはじめて、おさまるもの。それなしには、おさまらない、なんて。すごいな、神さま。愛が試されているのかな。まごころ、だ。仕出し屋のおばちゃんの言葉どおり。

「フォレスト・ガンプ」を観た。好きだったのは、ガンプが何年も走り続けるシーン。髪もひげもどんどんのびていく。みんなが聞く。なぜ、走り続けるのか。それで、ガンプはこんなふうに言う。どうして、人は意味を求めたがるのだろう。意味なんて、ない。ぼくは走りたいから、走っているんだ。