ゆがいたたけのこのにおいを何度もかいだ

2020年4月18日(金) ―今朝、白と赤のフリージアがすっと伸びて咲いた。

たけのこをおすそわけしてもらったので、ゆがいて、朝近所のお母さんたちに配った。畳屋のお母さん、お礼にお菓子や果物を持ってきてくれる。お隣の電器屋のお母さんは、たけのこ、白みそで和えたよ、と持ってきてくれる。魚安さん、たけのこ、天ぷらにしたで、と持ってきてくれる。いろいろなおかずになって帰ってきた。昨日に続いて、今夜もたけのこごはんをつくった。

友だちから、お菓子やお手紙や手づくりのマスクが届いた。日常に戻ったらやりたいこと、「やりたいこと貯金」がもうすごい勢いで貯まるね、と書いてあったのが、なんだかその人らしかった。いい言葉だな。わたしも貯めよう、やりたいこと貯金。夜、埼玉の友人から、メールが届いた。ひとこと、ゆりちゃん、元気ですか? って。

世界を広げること、世界とつながっていることがとてもよいことのように思われがちやけど、そうしている人を否定するつもりは全然ないけれど、僕は、世界は小さいほうがいいと思っているんですよ、小さければ小さいほどいいって、今でも。そんなことを旦那さんが話していた。

今は全世界的な危機で、国家的な危機で。そのことがなによりも重大で、世界の中心は、そこのような気持になるけれど、ふと、全く別の世界のことのような気持もしてくる。現実としてとらえられない、ということではなくて。もうすぐ父の誕生日だ。75歳の誕生日だ。毎年実家に帰って、みんなでケーキを食べる。70代の誕生日も、国家危機と同じだけ、自分にとっては大事だ。自己中心という意味ではもちろんないけれど、自分中心の世界というものを大事にしていたい。

人文学を研究する人の対談が新聞にのっていた。人文学は、感染者の増大に対して無力で、何の役にも立たない。けれど、はるか古代の文化を、何千年も前の営みを知ることは、人間をちょっとだけ上品にするのではないか、という話だった。生活をしていると、立ち止まるということがむずかしい。今は無理やりにでも、立ち止まらせてもらっている気持ちがする。花屋は、外のいけこみの仕事がほぼ全部なくなって、旦那さん、僕はリセットした気持ちやと言っていた。すごくフラットで、生まれ変わったような気持ちがするって。