ジューンベリーがとても静かに咲いていた

2020年4月15日(水) ―家の庭に、マンションの植え込みにジューンベリーの花を見つける。そっと、ささやかに咲いている白い花。

朝、店の表を掃いていると、桜の花びらが混ざっていた。このあいだは畳屋のお母さん、ゆりちゃーん、今日はお寿司―!と言って、タッパーを手渡してくれた。フタをあけると、たけのこのお寿司。上には、桜の塩漬けと山椒の葉が飾ってある。なんと美しいことだろう。山椒の葉は、ちょっと前に、お母さんが店で買ってくれた鉢植えからおそらく摘んだもの。売ったものがこんなふうに帰ってくるだなんて。

娘が元気なくてね、ほしぐもさんがあったら、元気も出るかと思って、おやつを買いに来てくれたお母さんがいた。とても光栄なことだと思った。こんなときでも、店をあけている意味もあるのかもしれないと思えた。

少し前、夜に電話が鳴って、毎週お花を入れさせてもらっている、食べ物屋さんからだった。これはもうどうにもならんすわー、って。お店をしばらく閉めるという。電話ごし、申し訳ないです、と謝ってくださった。この状況でお店を閉めるぎりぎりまでお花を飾ってもらってありがたいことだった。花屋を始めた年からなので、約6年、毎週続けさせてもらった。翌日、旦那さんがお世話になったお礼にと花束を持って、引き上げに行った。そしたら店主さん、なんですかこれ、僕まるで卒業みたいじゃないですか!と大笑い。ひと月か、ふた月したら、僕またやりますよ。そのときはまたよろしくお願いします、と言ってくれた。どんな状況でも明るいっていいな。そういうことが試されているのかもしれない。

近くのホテルも休館になり、きょうお花を引き上げた。社長さんにもたくさんお世話になったから、花束持ってあいさつに行ってくるわと旦那さん。お花を受け取った社長さんは、なんか父の日みたいだね、と笑っていたそう。それから、また再開できることを楽しみにしているからね、と言ってくれた。みんなやさしくて、ありがたいことだった。

海の向こうから、大切な友人が帰ってきた。メールの最後、ゆりちゃん、わたしたちにはなにができるかな、いま。と書いてある。胸がきゅっとなった。問われているのだと思う。どう生きていくのか、どうありたいのか。経済活動としてのそれではない、自分にとっての、人生の仕事、というものを。